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case study
2021.02.25
事例紹介 全十巻の「ブログ本」

当社の古いお客様のお作りになったコンテンツをご紹介します。

大河(個人通信ブログ『妙』)の一滴はここから

 

国会図書館に今回のご依頼主が40年前に発行なさった『個人通信,妙 1980年1月(下の写真左)』が所蔵されています。その奥付は
個人通信 妙 第一号/発行日 1980年1月/発行者 阿部審也/発行所 東京都世田谷区宮坂3₋30₋7(電話426-1197)/印刷所 株式会社 研恒社(電話265-8961)/一部 約百五十円
――となっています。
阿部様のこの冊子はやがて書籍となり不定期刊行物ながら2001年の43号まで刊行されました。そして、2003年からはブログに引き継がれ、今回その約17年分が書籍化されました。
完成本は全十巻(A4判)、総頁数4,015の大作で、ブログ本の金字塔ともいえる内容となっています。

ご依頼主 阿部審也様のプロフィール
1933年(昭和 8年)東京都葛飾区金町に生まれる
1946年(昭和27年)栃木商高卒業と同時に日本銀行前橋支店入行
1955年(昭和30年)日本銀行本店へ転勤 1993年(平成 5年)定年退職
この間、1960年~64年 函館支店、1982年~1087年 札幌支店勤務
定年退職後はローマに移住するも、1997年6月肝細胞癌手術のため帰国
北海道大沼~函館市を経て東京都稲城市にて2020年12月生涯を終える。

 

40年間、個人通信を書き続けるという並々ならぬパワーの持ち主のお人柄は、阿部氏が私淑し日本銀行在職中からご厚誼を受けた金子兜太氏(戦後の俳壇を代表する俳人)の言葉から拾いあげさせていただくことにいたします。

金子兜太氏の日本経済新聞「私の履歴書」1996年7月29日によると、
「日銀個性派の中には文学青年も結構いて、わたしの接した範囲でも、阿部審也、栗村○○、中村○○、内田○○、小山○○○、伊藤○○たちがいる」と、日銀個性派の文学青年として最初に登場しています。
また、金子兜太氏は亡くなる一年半前に阿部氏に宛てた葉書に(写真右上)以下のように記しておられます。
「いや―愉快。多摩・稲城だよりだの儚儚老随筆などと、正直、貴公のような〈正真正銘の自由人〉がけっこう人を集め、笑わせ、長命を夢見させているのを見て、この国もまんざら捨てたものではないと喜んでいます。いや教えられ励まされています。・・・」

<制作担当より>

最初にブログを拝見した際、まず膨大な記事数とその熱量に圧倒されました。1カ月ほどかけて全ページをPDF化する作業を行いながら、ブログの内容や構成に関する理解を深めていきました。
最も心を砕いたのは、全4,015ページにもわたる内容を、いかに分かりやすく10巻に落とし込むかという構成の検討です。
納品時には非常に喜んでいただき、制作に携わった一員として大変嬉しく感じました。やはり上製本が10冊揃うと壮観で、阿部様の生きてこられた年月の重みがそのまま具現化されたようです。
約17年間のブログの集大成とも言える書籍作成をサポートさせていただきましたこと、心より感謝申し上げます。阿部様のご冥福をお祈りいたします。

 

本稿の冒頭に、個人通信『妙』第一号の奥付けを記しましたが、この冊子(A4判16頁)の印刷・制作を担当させていただいたのが当社で、そのご縁から今回の出版ご依頼いただきました。
全十巻の完成を見届けられて一週間後、阿部様は慕っておられた金子兜太氏の元に旅立たれました(享年86歳)。
故人のご意志を継ぎ、阿部審也氏の個人通信『妙』全十巻は、故人の四十九日を機に国会図書館に納本させていただきました。合掌。